101回目の誕生日の朝に

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相変わらず、毎朝犬の散歩をしている。だいたい朝の5時半くらいに、近所を30分ほど犬と一緒に歩く。

ちなみにうちの犬は、犬よりも人が好きである。だから散歩中、人に会うと嬉しくなって向かっていく癖がある。全然番犬にならない。

先日、いつもより少し遅めに散歩にでかけると、杖をついて散歩している小柄なお婆さんに出会った。

まっすぐ前を向いて、小さな歩幅だけど一歩一歩、転ばないように、自分がしっかり歩けていることを確かめるように歩いている感じで、僕と犬がしているそれとは種目が違うんじゃないかと思うくらいの真剣な散歩だった。

すれ違いそうになった時、僕は犬の手綱を短くして、お婆さんに向かっていかないように細心の注意を払った。

が、やはりうちの犬は前足を宙に浮かせながら、お婆さんに向かっていこうとする。

それを見たお婆さんは、足を止め、さっきまでの真剣な表情から一変、小さく微笑みながら「かわいいわね」と言ってくれた。

「ありがとうございます」

意外な声がけに僕は持ち前のアドリブ力を使って返事をする。

「今日はね、特別な日なのよ」

お婆さんはさらに話しかけてきた。

「今日は●月●日でしょ?」

僕はとりあえず返事をする。「あ、はい、そうっすね」多分その日だったような気はする。

「今日はね、私の101回目の誕生日なのよ。大正●年●月●日生まれだから、今日で101才。計算合ってるでしょ?」

僕は驚きながら、「それはおめでとうございます。お元気ですね」と言葉を返した。計算が合ってるかどうかなんてわかる訳がない。でも、多分、合っているのだろう。

お婆さんは、4年前にこの街に引っ越してきて、近くの老人ホームに住み始めたこと、毎朝この時間に散歩をしていることを話して、僕と別れた。

僕はその朝、人生で初めて101歳の人と会話をした。

人生100年時代ってマジあるのだ。

あくまでキャッチフレーズだと思い込んでいたその言葉のリアルさを、犬を散歩しながら僕は何度も噛み締めた。

たぶん、僕がおじいさんになる頃には、もっと普通にそうなっているのだろう。

そうなった場合、今の僕はまだ人生の半分も生きていないことに気づく。最近の若者についての悪口を言っている場合ではない。

101回目の誕生日の朝に出会った僕と犬は、彼女にはどんな景色に映っていたのだろうか?少なくとも大正時代にはいなかった奴らである。

僕がもし101歳の誕生日を迎える日があったとしたら、その時はどんな景色が見えるのだろうか?

いろいろ想像してみた。過去から現在、そして未来。
時が過ぎて、既に現時点でいろんな景色がびっくりするくらいに変わっていることに改めて気づいた。

もうすぐ令和である。
僕にとっては3つ目の時代、彼女にとっては4つ目の時代を迎えようとしている。

そして、どんなに景色が変わろうとも、明日になればまたいつもどおりに僕たちは散歩をするのだ。

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