自由ってのは面倒だ。

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「自由ほど不自由なものはない」という皮肉をたまに聞く。

その皮肉を言った一人は続けて言う。
「だって、自由ってのはさ、何でも自分で決めなきゃいけないだろ?それって面倒くさくないか?」

10代の頃、尾崎豊が叫んでいた「自由になりたいくないかい?」という投げかけが、40才を過ぎた今、等身大の生活の中で袋小路にはまっているようだ。

仏教学者の木村 宣彰さんは、仏教における「自由」の定義を「自らにもとづく、自らによること」とし、束縛や拘束からの自由を指すfreedomとは意味合いが異なるとしている。

我々の行動の判断は、自らに由るよりも、むしろ他の意見や権力によって支配されることが多い。そこには自由がない。だからブッダは「自らによれ」と教えられたのである。

抑圧から解放されるために、freedomは外の世界に答えを求めていくのに対して、仏教の自由は自分の内側の世界に答えを見つけていく点が対照的で面白い。

そして、40才を過ぎた僕たちの本当の自由は、塀の外や盗んだバイクにあるんじゃなくて、自分の中にあるという事実にそろそろ目を向けないといけないのかもしれない。

四十にして惑わず、という心境にはまだ程遠いけど、いろんな領域で、自らに由る見解みたいなものはそろそろ持っておきたいな、と思う今日この頃なのである。

今回の関心事:「自由の定義」

参考)大谷大学 生活の中の仏教用語
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rb9.html

 

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