40代は普通、惑う。

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1990年代後半、僕が20代の頃、第一次のインターネットバブルが起きた。
渋谷のビットバレーのMTGに参加したとき、異様な熱気に包まれていたのを覚えている。

いろんなところで当時の自分と同じくらいの年齢の人たちが起業家宣言を行い、みんなで拍手して盛り上がっている。投資会社の人たちやヘッドハンティングのエージェントが、手当たり次第名刺交換している。
僕は同じインターネット業界の会社に勤めるサラリーマンだったけど、なんか自分とは少し距離があるムーブメントに思えた。
一方で、いつか自分も独立して自由な働き方をしてみたいという漠然とした希望はあったけど、実際どんな働き方をしたいのか、具体的なイメージがあった訳ではなかった。
30代になり、社内で一定の評価をもらった僕は、管理職になり、部下を持つようになった。
新規事業企画の部署で、いろんなネットのサービスを立ち上げた。たくさんお金も使った。
特に30代の後半あたりは多くの部下とプロジェクトを抱えるようになって、自分自身、今までの人生の中でかなりの回転数で仕事に取り組んでいたんじゃないかと思う。
40歳になった時、自分の会社の経営者が代わり、経営方針が変わったのと同時に、自分が手掛けてきた新規事業も不採算事業として整理することとなった。
僕は、今までの働き方に急ブレーキをかけ、これからのプランについて考え始めるようになった。
そしてそんな中、東日本大震災が起こった。
余震が続く中も、相変わらず朝の満員電車に乗って、毎日会社に出社した。会社に行っても正直仕事はなかった。
今まで用意していた緊急事態のマニュアルやシステムはまったく使い物にならなかった。
何のために働くのか?
どう働きたいのか?
僕はずっと自問していた。
自分の人生はおそらくあと40年くらい続くのかもしれない。
そのうち、ほとんどを働いていくのだろう。
生活のためだけでなく、自分が社会に何らかコミットしていく手段として。
そう考えた時、僕はただ今の会社に依存するだけの働き方は止めようと思った。
自分の働き方を変えよう。これから40年、どんな働き方、生き方をしたいか?
それが、僕が自立していくために具体的な試行錯誤をし始めるきっかけだったと思う。
しばらく経ってから、糸井重里さんの「ゼロになってちゃんともがく。」というコラムを読んだ。
その中で以下の一節が僕は好きだ。

ワクワクすることが見つからない人には、
ひとつだけアドバイスがある。
「絶対にやりたくないことからは逃げる」
と心に決めること。
これは逆説でもあって、
「絶対に」が付かない程度の、
文句を言いながらやれることなら、
逃げずにやり遂げろということ。
そうしているうちにワクワクが見つかるから。

具体的なプランがある訳ではないけど、その当時の僕が取った行動指針はひとつ、「今までと違った働き方、考え方にあえて挑戦してみる」ということだった。

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