日本人の多くは「まちがえないこと」に固執しすぎ、というブログ記事を読んで、確かにそうかもと思った。
日本人は語学を学ぶ時、「ネイティブはそんな言い方するかどうか?」ということをとても気にする。
ネイティブって誰?って定義もされていないまま、おそらく、その国のマジョリティ的な集団から見て、違和感のない言葉遣いをマスターしたいということをとても気にしている、という洞察である。
そもそも日本人の多くは「まちがえないこと」に固執しすぎだ、と筆者は述べている。
僕もホントそう思う。
周りからどう見られているのか?体裁にこだわるあまり、本質ではないところに過剰な努力をしてしまう。同調圧力という言葉もここ数年、とてもよく目にする。
そもそも人間は社会性を持った生き物なので、誰かと比較しながら常に自分の居場所をチューニングする。
情報の供給量が増えている今においては、この作業がとても忙しくなっている。
いろんなことを気にしながら、自分の発言や行動をコントロールしなくてはいけない。
しかも、一人ひとりの個性を尊重しつつ、マイノリティーの立場もきちんと配慮しなければいけない、といったリベラルな価値観も広まっているので、さらに多面的なセルフチェックも求められる。
お互いを傷つけない、個性を尊重する空間を作るための最低限のルールなんだけど、それ以上の要求を相互に働かせていくことは、単なる窮屈な同調圧力になってしまう。
要はバランスの話であり、相互の距離感の取り方のグラデーションの話なんだろうな、と。
「目指すべきことは、競争に勝つことではなく、今の競争から自分らしさの軸を見つけて抜け出すこと」
あるシリコンバレーの有名なビジョナリーが語った言葉。こちらも、ホントそう思う。
それが本当の成功であり、誰かが作った競争ルールで戦わないことが最高の戦略。
この言葉をベースで想像するに、自分の人生の正解なんて、既存の世界にはそもそも存在しないし、誰かから与えられるものでもないし、誰かから勝ち取るものでもないし、誰かと比較して見つかるものでもない。
自分のやってみたい、という気持ちに、自分できちんとOKを出す。そして行動してみる。
できるだけ早く失敗して、トライアンドエラーを繰り返していく。
いつも誰かと比較しがちな世界の中で、自分を励ましながら、上手に自分にOKを出し続けていく。
そして自分の納得解を見つけていく。
人生にゴールは存在しない。プロセスがすべてであり、人生というプロセスを自分の意思で歩めているだけですでに人生の勝者である。
その時には、おそらく比較するような人の影はなくなっているはずだ。
「これでいいのだ」
最後はバカボンのパパのようにこの名言を自分にかけられる人生で締めくくりたいなぁ、と本当に思っている。
これからも、自分にうまくOKを出し続ける自分でいよう。たぶん、それでいいのだ。