小さな国境を作っていく人たち

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線を引く人がいる。一つのものをわざわざ2つに分ける人だ。

その人は、何気ない普段の会話の中で、じわじわと線引きを仕掛けてくる。例えばこんな言い回しで。
「あの人は○○の中でも××なことをするので、本当の○○じゃないんですよね」
僕はそんな人たちの普段の会話の積み重ねによって今の国境って作られたんじゃないかな、と想像している。
人間は社会性を持った動物である。
社会という概念は、自分の身を守るために、自分にとって居心地のよい場所と仲間を選択していくという人間の知恵である。それは結局、そこに入るものと入らないものの境界線を引くという行動につながる。
人間はいい意味で助け合う動物だが、悪い意味では、仲間とそれ以外という境界線を引いてしまう動物なのである。結果、内側の世界の人間には結束や同一化を求め、結束や同一化を強化するために新たな外側の人間を作ったりする。
元々は村程度の単位だった社会が、今では国となり、会社となり、学校となり、気づかないうちに僕たちはとても細かくルール化された社会の単位で暮らすようになった。おそらく縄文時代くらいの人が見ると、びっくりするするくらい細かい行動規定があるのだと思う。
ルールというのは、その中の人間をある種、同一化させていくことによって全体の平和を保つために存在する。いわば最大公約数的な相互の努力義務である。国であったり、会社であったり、社会の単位の規模が拡張、仕組み化されていくことによって、ハンパないルール化が進められ、努力義務が増産されていった。
ルール化によって、同一であることをさらに強く求められるようになり、その監視も強くなってきている。
結果、その中にいる人間にとって、より安心できる社会は実現したのだろうか?むしろ逆で、不安になっている人が多くて、息苦しい社会になってきていると思う。
僕はエクスクルーシブな社会はそろそろ限界に来ているんじゃないかと感じている。
境界線を無くすなんてことは理想かもしれないけど、少なくとも、外側の社会も認めていく価値観はこれからの世界にとってとても大切なビジョンだ。
いつでも自由にいろんな社会を行き来できる、選択肢のある世界。
そんなことを考えながら、僕は週末に選挙に行こうと思っている。

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