ぼーっとするための大義名分

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なんで、テレビで野球とか相撲を見てしまうのか、最近わかってきたような気がする。
ぼーっとできるからだ。

僕は子どもの頃、野球とか相撲をテレビで見るのが好きではなかった。
なんで大人はこんなだらだらしたテレビ中継を見ているのか、さっぱり理解できなかった。
毎週楽しみにしていたテレビ番組が野球中継に変更されていたりして、すごくムカついた経験もある。
そして、僕は大人になった。
ビールを飲むようになったし、あー、今日も仕事疲れたなぁー、とか思うようになった。
そんな時、飲み屋に入ると、テレビがある。ピッチャーがマウンドでキャッチャーとサインのやり取りをしている。話がまとまって投球に入るかと思いきや、ファーストに牽制を投げる。なかなか球を投げない。
今なら言える。いいんだよ、それで。僕もなんとなく眺めているだけだから、ゆっくりやってくれればいい。
「ぼーっとしてます」とカミングアウトしづらい世界に、今、僕たちは生きている。
他人の視線がいつも気になって、ぼーっとするための大義名分をいつも探しているような気がする。
なので、その飲み屋では、ぼーっとするために、僕はテレビで野球を見ているおじさん、という立ち振る舞いをしてカモフラージュしている。おじさんは地だけど。だらだらしたスピードで野球が進行するので、仕方なくテレビをぼーっと見てしまっているのだ。そして、ビールを飲む。結果、最高。
「ぼーっとできる環境」はとても大切である。ぼーっとできる時間があるから、次に頑張れるのだ。「非日常の空間」と言う人もいるが、僕は「寄り道できる場所」だと思っている。
寄り道をすると、自分の行こうとしている道を少し離れて客観的に分析できる良さもある。
それに、目的地に行くことって、案外、本当の目的じゃなかったりするんだよね。
そんな理屈をこねながら、僕は寄り道をしている。そう、マウンドのピッチャーがなかなか球を投げないように。

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