さっさと諦める

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僕は飽きっぽい。子どもの頃、面白くないものを我慢して続けるのは苦手だった。一方で、面白いなぁ、と思うことはこの年になっても、集中力を切らすことなく没頭できるタイプである。

最高の戦略は努力が娯楽化することである 。そこには苦しみやつらさという感覚はなく 、純粋な楽しさがある 。苦しくなければ成長できないなんてことはない 。人生は楽しんでいい 、そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ 。

先日読んだ、為末 大さんの「諦める力」にこう書いてあった。ホント、そう思う。
「嫌な仕事でも、その中で自分にとっての面白みを見つけることができるのも、一種の才能だよ」
昔、ある上司がそんなことを言ったことがあった。これも、ホント、そう思う。その才能によって、他人が真似できない「努力が娯楽化する」戦略が見つかるかもしれない。
一方で、どう試行錯誤してもそんな戦略が見つけられず、たんに今の仕事が辛かったり、楽しみを見出せない状態が続いていくだけだとしたら、どうすべきだろうか?
さっさと諦める、である。
転職や独立、そこまでの勇気がなければ、同じ会社の中でも違う仕事につくリクルーティング活動をしてもいいかもしれない。とにかく行動することだ。
逆によくないことは、その現状に耐えること、である。
日本という国は、何かと「我慢して道を極める努力をし続ける」ことを美徳化し、途中でやめることに対しては冷ややかに見る傾向がある。
だから、アイドルグループの誰かが抜けるのも「卒業」とか言ったりしている。正しくは「嫌だからやめる」「だめだからやめる」なのに、その道の一定の課程をコンプリートした風に後付けで演出する。いいじゃん、「やめる」で。
前述の為末さんの「諦める力」でもこう書いてあった。

僕は 「やめる 」 「諦める 」という言葉を 、まったく違う言葉で言い換えられないかと思っている 。たとえば 「選び直す 」 「修正する 」といった前向きな言葉だ 。

「諦める力」の中でも触れられているが、「サンクコスト(埋没費用)」という経済学の言葉がある。今まで投下した資金や労力のうち、どうしても戻ってこない資金や労力のことを指す。
例えば、「今まで頑張って来たのだから、もうちょっと踏みとどまって頑張ろう。」と思ったとしたら、この「今まで頑張って来たのだから」というのが、サンクコストにあたる。
過去のサンクコストの存在を気にするあまり(またはそれを理由にして、判断を先延ばしにすることにより)、サンクコストをさらに積み上げてしまい、結果、自分の人生という有限の時間をさらに無駄に費やしてしまう。
サンクコストは何をしても取り戻すことができない費用なので、それを未来の判断基準にしてはいけない。
だから、新規事業の投資判断ではサンクコストを考えない。過去の投資費用にこだわらず、どの未来のオプションを取るべきか、都度、その時点で最善だと思われる未来を選択する。
すでに、この世界は複雑なので、この先の未来は、先人たちが作って来た方法では解決しない問題だらけである。
先人たちも半ば無責任に言っている、これからはイノベーションが必要だと。
そこには道はなく、自分たちが一番風呂に入るような気持ちで、開拓していくしかない。
そして、幸せな未来を手に入られるかどうかは、そもそも、そのプロセスをどう楽しめるかどうかである。
「楽しい人生の時間を過ごしたい」というエンジンと、「ダメならさっさと諦めよう」というハンドルを持って、このリアルな道無き道をこれからも旅していこうと僕は思っている。
 
 

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