「企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ」というドラッカーの言葉がある。
例えば、営業や製造部門は「1を10に向けて努力をしていく」マーケティング部門だし、新規事業企画やサービス開発部門は「0から1を作っていく」イノベーション部門になる。
総務や経理などのバックオフィス系の部署はそれらの活動を支援していく間接部門(コスト)ということになる。
そして、時折マーケティング部門とイノベーション部門にはカニバリズム(共食い)が起こる。
「イノベーションのジレンマ」では、大企業の中でイノベーションが起こらないのは、時として、イノベーションが既存事業(マーケティング)を破壊する可能性があるからだとしている。まさにその通りだと思う。
つまり、大企業は既存のマーケティングが大きすぎて、イノベーションには「本気になれない」のだ。
だから、大企業の組織の大部分はマーケティング部門とコスト部門で構成されていて、イノベーション部門は正直亜流である。(僕もその亜流にずっといた)
では、なぜ、それでもイノベーション部門が組織の中には必要なのか。
昔、ブラック企業対策やコンプライアンスについて詳しい弁護士さんが、「企業は効率性と健全性のバランスで成り立つ」というお話をされていた。
効率性だけに偏るとブラック企業になる。だからと言って、健全性に偏っても現実の商売は回らない。
ここでいう健全性というのは、「社会の常識との付き合い方」を指していて、「社会の常識は常に変わるので、それに従うのではなく、適切な距離感を持って付き合うことが大切だ」とおっしゃっていた。
この時僕は、企業にとってマーケティングがある種の「効率性」だとしたら、イノベーションってのは「健全性」を指すのかな、と思って、妙に納得した記憶がある。
イノベーション部門がない完全なマーケティングだけの会社は「効率性」だけの組織であり、言って見れば野党のいない政治みたいなもので、それはそれで将来かなり危険だ。寿命が終わる時はみんな一斉に終わってしまう。
ここ数年、企業価値をはかる指標として「持続可能性」という軸が重視されている。例えば、今年めいっぱいリストラで利益を出したとしても、それが継続して発展していくスキームでないと評価はされない。
効率性というマーケティングの定量的なKPIに、健全性というイノベーションの定性的なKPIを掛け合わせることによって、はじめて持続可能性という新しい奥行きが生み出されていくのだと思う。
そして持続可能性というのは、多様性を認める組織風土に宿るのではないかと思う。それはイコール、イノベーションを許容する社風に繋がる。
創業期はみんな一丸となってひたすら上昇していくと思うのだけど、ある程度組織が成熟すると、次には多様性が必要になるのかもしれない。
そう考えると、イノベーションには健全で無邪気な動機や正義が必要だし、それがあるからこそ、企業の中に存在する意義があるのだと思う。決してマーケティング部門に引っ張りこまれてはいけない。マーケティング部門のほうが実績もあるし、言っていることは一見正論だけど。
だから、マーケティング部門の責任者は会社のNo2でいいけど、イノベーション部門の責任者はやはり会社のトップがやるべきだ。現場の若手だけに任せる話ではないと思う。