起業の起点

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「起業の本質は人のやりたくないことをやることだ。人の思い付かないことをやるのではない」
以前、起業の本質についてそう語った宋文洲さんのツイートを、糸井重里さんが「すごいリアリズム。それは成功率も高そうだ」とコメントしてほぼ日のエッセイで紹介したことがあった。

糸井さんはさらに、人のやりたくないことをガマンしてやっているだけでは仕事は育たないから、「こうすればもっとうまくやれる」とか「こんなふうにしたら、イヤじゃない方法でやれる」と、工夫したり再編集したりするところに、さらに本質があると語っていた。
「人のやりたくないこと」という起業の着眼点は、確かに顧客からの切実なニーズが顕在化しているし、競合の参入障壁の高さもあるのだろう。だって、誰もやりたがらないことなんだから。
そこには、対象となる「人のやりたくないこと」を自分自身がまず経験することが必要なんだと思う。
その次に、どうやったらその「人のやりたくないこと」に向き合い続けられるのか、というアイデアが必要になる。
そう考えると、「人のやりたくないこと」を経験してみよう、という覚悟とか興味をどうやったら自分の中で持つことができるのか?というのが、起業の第一関門になる。
僕はアイデアというのは、きっかけにしか過ぎないと思っている。しかも、だいたいのアイデアは途中で変質していくものだとも思っている。
だから、ちょっとしたアイデアから「人のやりたくないこと」を経験して試してみようというのは、アリっちゃアリだけど、だいたいが甘噛みして終わってしまうケースが多いような気がする。
対象となる「人のやりたくないこと」に対する、自分なりの覚悟とか興味がどこまであるか、というのが大切で、それはいろんな感情から育まれていくものだと思う。合理的な計算ではなく、単なる感情なのだろう。
今でも、世の中にはいろんな困ったことや、困っている人がいる。NPOというアプローチもあるけど、僕はそれらには全てビジネスチャンスがあるのだと思う。
「こうすればもっとうまくやれる」とか「こんなふうにしたら、イヤじゃない方法でやれる」と、工夫したり再編集したりするための係数は、今だとIT技術を掛け合わせるケースが多いのかもしれない。
労働集約の現場にこそ、イノベーションが宿っていると僕は思う。まさにピンチの中にチャンスが宿っているのである。