教えない教え

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ちょっと前に、NHKの「ファミリーヒストリー」に俳優の中村梅雀さんが出演されていて、役者の家系であるご自身の家に代々伝わる「教えない教え」という考えを紹介されていた。

「教えない教え」というのは、「本人がいかに自覚するか、体得するか、役者としてはそれが一番大事だ」という考えのもと、親から子へ、演技についてダメ出しはするけど、どこを直せばいいのか具体的な指摘は代々しない教え方なのだとか。

直接教えられるものは、一般的な知識であったり、表層的な事象の説明に過ぎない。

本当に目指したいゴールであったり、物事の本質的な会得は、自分の力でしか実現させることができず、それには、主体者として自覚を持った上で試行錯誤をしていくしか方法がないのだろう。

日本の茶道や武道における修行のプロセスで「守破離」という言葉がある。

まず、先生の言った通りの型をマスターする「守」

次に、マスターした型をベースにより自分にあった型を模索し始める「破」

最後に、さらなる鍛錬を重ねることによって、型に囚われなくなる「離」

「守」というのは半人前、「破」というのが自立へのスタートライン、「離」というのが目指すべきゴールというイメージ。

そのプロセスの中で「教えない教え」というのは、教え子に対して「早く、今までの殻を破って、自分なりの新しい境地を開拓しなさい」と促している、いわば「破」から「離」にかけてのコーチングメソッドなのかもしれない。

一方で、現代は、いろんなものが何かにつけ、「事細かに説明されている」世界であり、「守」に取り囲まれた世界である。

ネット上には「これさえ分かればOK」的なノウハウや情報、言うなれば「型」が蔓延している。しかも、それらはすべての生徒に対して優しく接してくれる。

時にそれらは、ちょっとした「型の押し売り」になって、僕たちの前に何度も現れる場合もある。僕たちが気づかないうちにトラッキングされていて、何度も登場してくる。

そして、僕たちは、無意識のうちに、それらの何かの「優しい型」にはまってしまって、言われた通りに動いている自分に気づく時もある。

自分は今、ゴールから見た時にどんなステージにいるのだろうか?

真面目な僕たちはなにかにつけ、「積み上げ」が大切だと自分自身に言い聞かせがちである。

でも、誰かが作った型や、気づかないうちに過去の自分が作り上げた型をなぞって積み上げているだけじゃ、まだまだ半人前、道半ばなのかもしれない。

「最近のコピーライティングのトレンドとして、『成功する』という言葉より、『失敗しない』という言葉をつけたほうが反応がいいんですよ」

先日そんな話を聞いた。

みんな、成功ってそんなに簡単にできるもんじゃないとドライに今の世の中を観察しているからなのかもしれない。今より良くならないのであれば、今を無難に過ごしたい。だから、「成功する」より「失敗しないための」ノウハウのほうに魅力を感じる。

既存の型の中で積み上げしている状態っていうのも、ある意味「失敗しない」ための「守」の取り組みなのかもしれない。

少なくとも失敗確率は下がるけど、そこまで成功するものではないかもしれない。その行動自体、単なる下準備であったり、誰かがやっていることの真似でしかないのだから。

本当の成功を望むのであれば、それらの型の外側へ一歩踏み出す、「型破り」を自分に仕掛けないと手にすることができないのかもしれない。

いつか、その型が古くなって使い物にならなくなる前に。

そして、そんな「型破り」を通じて、そもそもの「型」自体も大局的な視点で見ると、アップデートされ、次世代にまた引き継がれていくのだろう。

「教えない教えを代々伝える」という言葉は、それを指しているのかもしれない。

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