サラリーマン時代、企画部署にいた時に、「バウンダリー」という言葉をよく使う上司がいた。
彼はよく、「企画部署というのは、バウンダリーそのものだ」という話を僕たちにしていた。
そして「バウンダリーを楽しめ」とよく言っていた。
バウンダリーとは、「Boundary=”境界/限界/境界線”」という意味である。
彼が言う「企画部署というのは、バウンダリーそのものだ」という意味は、おそらく、何か新しいことを始めようとする時、いろんな部署の利害調整をすべて企画部署が担って、会社をひとつの方向に集約させていかなければいけないので、各部署から見ると、自部署のバウンダリー(境界線)上にいつも企画部署がいる、ということを言っていたのだと思う。
ひとつの新しいプロジェクトを進めていく場合、そこには、各部署視点での現状のニーズや不満があって、それらを汲み取りながら、各部署の協力を得ながら企画部署はプロジェクトを進めていかなければならない。
各部署視点の各論はごもっともなのだけど、それをすべて認めてしまうと総論がまとまらない。
ゼロサムや、MECEなロジックだけでプロジェクトを走らせようとしても、どこの部署の協力も得られない。
わかりやすいリーダーシップだけでなく、政治家的なアプローチも時には必要になる。
「このプロジェクトってなんだかイマイチだよなぁ」と、自分自身思っていたとしても、サラリーマン的には進めなくてはいけないプロジェクトもその中には正直あった。
そしてその上司は、そんな中でも、バウンダリー役を楽しめ、とよく言っていた。
ある時、その上司になぜ、そんなにバウンダリーという単語をよく使うのか、どうやったら楽しめるのか、率直に聞いたことがあった。
「バウンダリーってのは、要は潮目なんだよ。いろんな矛盾がぶつかって、何か新しい変化が生まれるポイントなんだよ。そこに立っていられると思えばワクワクしないか?」
彼はそんなようなことを言った。
モノは言いようだよなぁと思った反面、ある意味そうかもしれないと思った。
今、自分で事業を手掛ける立場になって、時々この単語を思い出す時がある。
今、自分はバウンダリーに立てているかなぁ?バウンダリーを楽しめているかなぁ?
リスクテイクし続けることが新しいビジネスを切り開いていくという基本原則から考えると、いかにバウンダリー(現実と未来の潮目)に立ち続けられるか、そしてそれを楽しめているかが、とても大切な成功要因だと今は思っている。
安全な場所からは何も新しいものは生まれない。新しいムーブメントはいつもバウンダリーから生まれるのだ。
ある立場の人から見れば、それは既存の業界や会社のルールを知らない、単なる素人が初めた無謀な挑戦に見えているかもしれない。
ある立場の人から見れば、それは安全な自分たちの世界に波風を立たせる、迷惑なアウトサイダーに映るかもしれない。
しかし、確実に「ある立場の人の場所」が過去になり、バウンダリーが現実に置き替わっていくだろう。
本質的には、バウンダリーの向こう側へ行くことがゴールではなく、バウンダリーにいつも立ち続けていることが大切なのかもしれない。
新型コロナの影響で大きく社会構造や価値観も変わろうとしている現在、僕たちは大きな潮目に立っている。
さすがにこの大きすぎる潮目については、楽しむ雰囲気ではないけれど、少なくとも自分なりにできるだけポジティブな方向に持っていきたいと今は考えている。