知ることと、気づくことは、本質的に違う。
知る、というのは言語化されている情報だから、どんな人でも同じように手に入れることができる。
でも、気づく、というのは感性なので、行動を通じてしか手に入れることができない。そして同じ行動をしても、人それぞれに気づくことは違う。
気づきを言葉にすると、すごく当たり前な、陳腐な言葉になってしまうことがある。
誰かに話すと「え、そんな気づきだったら、やる前からわかってることじゃないの?」みたいなことを言われる場合もある。
気づきを言葉にするのは難しい。てか、無理に言語化なんてしなくていいのだ。
僕はサラリーマンをやめて、自分で事業を手がける判断をした時、今まで得た知識を一旦リセットして、なんでもまず自分でやって確かめるところから始めようと思った。
頭でわかっている知識と、実際の現場というのは必ず大きなズレがある。年齢を重ねるにつれ、このギャップが広がっているような気がしていた。現場を知らない限り、本当の価値や問題がどこにあるのかも見定めることもできない。少なくとも自分がビジネスをやるフィールドを知らないのは致命的である。ここでいう、知るということは、当事者としての土地勘を持つ、ということである。
すると今まで見えていなかったいろんな景色が見えてきた。
今までの自分がどれだけ頭でっかちだったかもわかったし、あぁ、そこが大切なところなんだなぁ、という気づきがいくつもあった。
何事もまず、アウトプット(行動)から始めるというのが、最良のインプット(学び)を得る近道なのだと思う。
まず自らがアウトプットを提示することによって、はじめて周りの人たちの意見やアドバイスを引き出すことができる。
呼吸と同じで、息を吸いたければ、まず吐くのである。
知ることは大切だけど、そこにあまりオリジナリティはない。ググれば誰でも知れる話である。
それよりか、行動で得た気づきには、オリジナルな知恵を得る起点があり、自分が次に取るべき行動のヒントがある。
リスクを考えると、ちゃんと事前に情報収集して計画を固めてから、という気持ちになることもある。
でも、その思考自体がリスクそのものだったりするし、大部分の大切なことはそんな情報収集で得ることなどそもそもできない。
一歩目から大胆に行動しなくていい。まず、隗より始めよ、ということなのだということを、この歳になってとても思う。
格好悪くてもいいから、まず、アウトプットから始めよう。
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