何でも意味を求める僕たち

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「この世界のすべてのものには意味がある」ーいつの間にか僕たちはそう思い込んでしまって、逆に、意味のないものの存在を許せなくなっているのではないか、みたいなことが養老孟司さんの最近の本に書いてあって、確かにそうかも、と思った。

特に都会では、無駄な感覚(寒いとか熱いとか不快とか)が働かないように、感覚所与(五感で感じる情報)が限りなく少なくなるよう(=快適になるよう)、人間は自分たちの生活にとって意味のあるものだけでこの世界を満たそうとする。
空調設備が整ったマンションやビル、アスファルトで舗装された道、定刻通りに到着する電車、地下通路、コンビニエンスストア、スマホ、座りごごちのいいソファ。どれも快適な生活を送りたい人間にとって、とても意味があるものたちばかりだ。
一方、そうやって意味のあるものばかりに囲まれていくと、いつの間にか自分自身にとって意味を感じないものの存在(ex.メリットがないものや不快に感じるもの)が目について、許せなくなってしまう。自分にとって意味を感じないものは、「この世界にとって意味のないもの」と勝手に決めつけてしまう極端な思考プロセスにも陥っていく。
これは、身の回りの物理的な環境に限った話ではなく、自分とは違う価値観や信条の人と出会った時や、世の中の事象に対しての認識においても同様の思考プロセスになりがちである。
その結果、自分にとって意味を感じない事象に出会った時、自分の中で上手く飲み込めずに気が滅入ってしまったり、時としてその対象に対して極端な攻撃や排除行動に出たりする。
意味のないものを許容する素地がない社会。ーそう考えると、一見快適に見える、意味に満たされた世界(都会)で生きるってことが、実はかなり窮屈でギスギスした空間であることに気づく。
都内の満員電車でちょっと肩がぶつかったくらいで大げんかするなんて、窮屈な弊害の極みである。僕が会社勤めを辞めた理由もそんな窮屈さにあった。
そもそも、この世界に意味なんてない。意味を求めすぎて自分を不自由にさせているのなら、そんな意味探しはやめたほうがいい。
「何でもかんでも意味を見出そうとする僕たちがいるけど、実際の世界は意味のないものばかりで成り立っているんだから、それはそれでいいことにしようじゃないか」ー今の僕は、要はそんな気分なのである。無意味、最高。
そして、それがこの窮屈な時代をやり過ごす唯一の方法なのかもしれない。この世界の「意味」なんて、大した意味はないのさ。
「夢」や「働きがい」や「自分らしさ」が見つからずに悩んでいる人には特に、そんなに意味探しに苦しまなくていいんだよ、ということも言ってあげたい。人生長いんだから、のんびり行こう。
ということで、昔、カンフーが上手な先生が言った有名な以下の言葉でこのメモを締めくくろうと思う。
“Don’t think. feel.”(考えるな、感じろ)
この言葉を締めくくりに置いた意味も問わないでほしい。

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