金曜日の夜8時くらいに松屋に入った。
すると、カウンターの向かい側で、40前後の細身のサラリーマン風の男が、ガンガンに牛めしを食べていた。
口いっぱいに牛めしを頬張っている。それは、おそらくプレミアム旨辛ネギたま牛めしである。男の背後にそのポスターが貼ってあったからすぐにわかった。そしてハイボールを中ジョッキでゴクゴク飲んでいる。とてもアグレッシブである。
髪はちょっと長め。整髪料のせいか、髪全体がテカッてる。スーツを着ている。顔は痩せていて、唇は大きなドーナッツのように分厚い。左手の薬指に指輪をしている。既婚者風。
なぜ、僕がその男のことが気になっているかというと、男のその分厚い唇の周りには絵に描いたような泥棒ひげが生えていたからだ。
漫画に出てくるような、ここまで見事な泥棒ひげの男を、僕は今までみたことがない。
泥棒ひげというのは、とてもハラスメントなネーミングである。
どんなに真面目でも、その形状のひげをはやしているだけで、おそらく周りの人は「泥棒ひげの男」とタグ付けするだろう。
現に今の僕がそうである。その男は今までそんな偏見と戦ってきた半生だったのかもしれない。
さらに、なぜ僕がその男のことが気になるのか、もうひとつの理由がわかった。プリンスである。
後ろ髪が長くて唇が分厚く泥棒ひげを生やしているスーツの男。どっかで見たことあると思ったら、プリンスである。
目の前で、プレミアム旨辛ネギたま牛めしを食べている男は、戦慄の貴公子のジャケ写のプリンスにとてもよく似ているではないか。
僕は、その見事な泥棒ひげに目を奪われつつ、プリンスの一挙手一投足を見守った。プリンスの過去の名シーンが走馬灯のように蘇ってくる。
お味噌汁のお椀を両手でゆっくり持ち上げながら、そっと口に運ぶところが、レッツゴークレイジーの出だしのウィスパーに見えてくる。
中ジョッキのハイボールを片手で持ち上げて飲み干すところは、パープルレインのサビの絶叫にも見える。
プリンスの隣の席に、若いフリーターっぽい女性2人組の客が座った。ウェンディー&リサの登場である。
プリンスは残りのハイボールの中ジョッキを飲み干すと、誰にも何も言わず、ウェンディーとリサも置いたまま、一人で店を出ていった。
昔、グラミー賞のライブパフォーマンスでやったあのプレイだ。
今、この店で、そんな感動を味わっているのは、きっと僕だけなのだろう。
プリンスがいなくなった店内は、いつもの松屋に戻っていた。他の誰もが、今までプリンスがいたことに気づかずに、牛めしやカレーを黙々と食べ続けている。
ウェンディー&リサに見えてた2人も、今となってはあまり似ていないことにも気づいた。
金曜日の夜に素敵なショーを観させてもらったような気がする。ありがとう、藤沢のプリンス。
2019年の師走も終わろうとしている。